四国 広島の旅

2001年1月4日

2001年1月2日未明から4日夕方にかけて松山・しまなみ海道広島方面に行って参りました。この旅のスターターは、快速ムーンライトながら号大垣行きです。この列車は、11,500円で日本中のJR線普通列車が5日間乗り放題の青春18きっぷでも利用できる列車で、このきっぷが使える年末年始や夏休みは、なかなか指定席券の取りづらい人気列車です。

2日0時11分横浜を出発。ほんの4分前に先行の小田原行きが出発したばかりの為,、ときどき速度が落としながら東海道線を下ります。午前1時過ぎ小田原駅到着。ここで多くの人が乗り込みます。と言うのもこの列車は、早朝・深夜時間帯のアクセスを確保する為、9両編成のうちの、4号車から9号車までが自由席になるからです。しかし、当日はこの車両(自分は小田原枠と呼んでいる)の指定券も全て完売だった為、実際にはデッキにシートを敷いたり、通路に立つ羽目にあってしまいます。そこでこのながら号の指定券が取りづらいときに運転されるのが、(臨時大垣夜行)と呼ばれる普通列車です。

この列車は,全車自由席で早いもの勝ちなんですが、確実に座る為には始発駅である品川駅まで行く必要があり、その時々によって状況は変わりますが、一説によれば2時間前に並べば、座れると言います。しかし、夏休みと年末に東京ビックサイトが行われる、コミックマーケットと呼ばれる、マンガイベントや甲子園の高校野球の期間は、大変混雑し通路まで人がいっぱいになる事もあるそうです。ある日、ながら号が浜松駅に停車中に撮影した混雑状況は、こんなもんです。

午前6時過ぎ、名古屋駅到着。ここでも大きな動きがあります。前にも言った通り、ながら号は、9両編成ですが、後ろ3両(7・8・9号車)はここ、名古屋駅で切り離しとなります。切り離された3両は、豊橋行きのホームライナー、特急伊那路号の順番で走りつづけます。名古屋から約35分、終着駅大垣に到着。ほとんどの人はここで、米原方面行きの普通列車に乗換えます。しかし、この乗り継ぎは(大垣バトル)とわずか5分余りの民族大移動となる為、非常に過酷です。しかし、ここで1台待てば、少しは混雑から開放されます。この日は、7時発の網干行きの後に、米原行きの臨時列車が運転されていて、臨時夜行からもたくさんの人が乗り継いでいました。大垣から約35分で次の乗換駅、米原に到着です。ここから東海道本線の管轄が東海から西日本に変わります。次に乗る列車は、関西方面に行く時は、必ずと言っていいほど使う、新快速電車223系です。

8時10分過ぎ、米原を出発。電車は12両編成だったので、余裕で座れました。この電車の特徴は、何と言っても早い事です。JRの在来線では1・2を争うもので、青春18きっぷで乗れる列車では、おそらく最も早い、最高時速130キロ。京都⇔三ノ宮を、わずか49分で結ぶ、超お得な列車です。そして米原から、およそ200キロ。時間にして2時間18分で終着の姫路に到着。ここで暫く列車待ちとなります。と言うのも、ここから岡山までは、青春18きっぷ利用者にとっては、試練の区間となり日中、普通列車が1時間に1本しかない為で、私もここで45分ほど足止めを食う形地となりました。しかし中には、ここで3,200円の出費をしてでも、新幹線で岡山まで移動する人もいます。11時過ぎに姫路を出た列車は、約85分で岡山駅に到着。松山へは本来ならここで、快速マリンライナーに乗り継ぐ所なんですが、坂出から先の普通列車の便が非常に悪くその上、予讃線は単線の為,何度も列車のすれ違いをしなければならない為、時間がかかってしまいます。そこで使うのが,高速バスです。岡山からは、高知・松山・松江などへの高速バスが運行されていて、私が利用したのは、松山行き高速バス(マドンナエクスプレス号)で、岡山市と松山市をわずか3時間余りで行き来する、優れものです。車内は昼行便としては、豪華な3列座席でいままでの辛いシートからは一転。快適な座席です。瀬戸大橋・高松道松山道を経由し、夕方5時前に伊予鉄道道後温泉駅前に到着しました。そこから歩いて10分ほどの所にあるのが、今回宿泊する、松山YHです。

写真にも書いてありました通り、ここのYH(ユースホステル)は、門限が遅いので、夜遅い到着やコンサートなどのイベントの時の宿としても使える、とても便利な所です。市内にある、坊っちゃんスタジアムでは、年に何回かプロ野球の公式戦が行われ、2002年夏には四国で初めて、オールスタ-ゲームも行われたので、運良くチケットを取れた、プロ野球ファンの中にも、宿泊場所をここにした人もいるかもしれません。

1月3日。YHで朝食を済ませ、ここからは暫く観光の時間に入ります。

まず最初に訪れたのは、坊っちゃん湯の愛称で親しまれている、道後温泉本館です。ここは、連日朝6時半から営業していて、地元の人や観光客がたくさん訪れる、道後温泉のメインスポットです。

道後温泉で入浴をした後は、松山城へと向います。ここから松山城へは伊予鉄道の路面電車で大街道(おおかいどう)と言う市内最大の繁華街へ移動します。伊予鉄道は四国の私鉄ではサービス向上の先導に立っていて、市内線と呼ばれる路面電車の運賃を170円から150円に値下げ、この会社の中心駅である、松山市駅をバリアフリー化したりするなど、人に優しく、また利用者のニーズに積極的に答えています。さて本題に戻り、松山城へと向いますが、天守閣と呼ばれる建物は小高い山の上にある為、麓からは、ロープウエイで城址公園に向います。

天守閣に昇り終えた後、再び大街道に戻り、路面電車でJR松山駅へ。ここから、しまなみ海道を経由して広島に向う、高速バスが発着する今治市へは、特急しおかぜ号を使います。このしおかぜ号は、四国初の電車特急で主に松山⇔岡山を走っています。通常は8両編成で運転していて途中の駅で岡山行きと高松行きの、いしづち号に分かれますが、本州からの利用者の多い、年末年始や夏休みなどには、多度津⇔高松で臨時列車を運転させ、8両全てを岡山まで乗り入れる事もあります。そして松山からおよそ40分で、しまなみ海道(本四架橋 尾道・今治ルート)の四国側の玄関口、今治に到着です。ここから広島までは、しまなみ海道を経由する特急バスで移動します。

バスは、来島海峡大橋・多々良大橋を渡り、やがて広島県へ。途中から山陽自動車道の渋滞に遭い、結局45分ほど遅れて終着広島BCに到着しました。広島では名物のお好み焼きを堪能したりするなどして過ごし路面電車にも乗りました。

そして日付が変わった1月4日帰路のスタートです。帰りは年末年始などに運転している、臨時快速列車(ムーンライト山陽号)を使いました。私が乗った時は、広島駅始発で運転していましたが、現在は下関始発で運転されていて姉妹列車の(ムーンライト九州)の救済列車として運転しています。列車は全盛期の夜行急行を思い出す、14系車両で座席は、あまく深く倒れない、簡易リクライニングシートで、車内はこんな感じです。

そして、まだ夜が明ける前の6時20分過ぎに京都駅に到着。朝食の後、 東海道線を戻り、横浜に帰りました。