2002年07月08日

今日も暑かったですね。
字彫りを2件と白河石加工 銀行周りをしました。
大金を入金しに行ったのではありませんよ。
高校の同窓会の経費を出金に行っただけです。
横浜信金○○支店なんですが、お客様が少なかったからかもしれませんが
すごく早く処理してくれました。番号札もきちんと下さいました。
高校卒業して足掛け4年銀行員をしていたので、なんかうれしくなりました。
「おまたせしました。」の声に私は「全然待ってませんよ。」と答えてしまいました。
銀行も競争の時代ですから窓口のテラーさんは看板娘ですね。
銀行といえば、振替 現金という取引があるのですが、振替は必ず収支が同じでなければなりません。
現金伝票を基にした現金残高が出納室と合わなければなりません。
一番合わなくて銀行を退行したのは午前2時くらいだった気がします。
次の日は当然勤務です。私は次の日少し寝ぼけて遅くなってしまったのですが
預金課長はいつもと同じ時間に来ていつもと同じ笑顔でした。
その時は私はいい上司にめぐり合えたと思いました。
営業の学校へも当時の支店長の計らいで早目に行かせてもらい、積み立てを新規に開拓する掛金部隊になりました。
掛け金部隊ではノルマはなんとかこなしました。
そして部隊卒業後渋谷区の支店に新店舗開店準備委員になりました。
目標は掛金(現在は定期積み金)250軒でした。
出陣にあたり近所の神社で社長を迎えて式を行いました。
その後一人一人の抱負を述べたのですが、「私は一番最初に目標を達成して見せます。」と
行ってしまいました。
結果的に若かったということもあり、自分で言うのも変ですがお客さんウケするような顔をしているようで
一番最初に目標をクリアできました。その当時の方々ありがとうございました。
その当時はまだ、土曜日がお休みではなかったのですが休日返上で渋谷区内を回りました。
教えに20回訪問しても諦めるな。とか、ことわられても毎週1回はお宅を訪問しました。
風呂上りの女性が出てきてビックリしたり、他銀行の家族寮をずーずーしく回って掛金をゲットしたり
もーくるなーといわれたこともありましたが。
いまになっては、よい社会勉強をさせていただいたと感謝しています。
銀行員の方も帰りが遅く大変でしょうが、健康に注意して下さいね。
もうすぐお盆です。弟はちゃんと帰ってくるかなぁ。今日 自分ちのお墓も掃除しました。
弟は17歳の時にバイクで転倒してトレーラーに突っ込み亡くなりました。
生きていれば33歳ですね。親より先に死ぬなんて親不孝ですが
親の気持ちが最近よくわかります。自分の子供がそうなったらと思うとぞっとします。
私と、三男で頑張りますのでよろしくお願いします。
でも次男(弟)は天国支店で営業してくれてる事でしょう。何らかの仕事は毎日ありますのでね。
みなさん、車には十分気をつけましょう。